top of page

プロフィール

アンカー 1
生い立ち

優しい父母の元に一人娘として生まれ、何不自由なく過ごしてきた私。
私の母はいつも病弱で入退院を繰り返していたので、明治生まれの厳しい祖母の元育てられ、物心つく頃には、周囲の期待に応える「良い子」になっていた。

今、思い起こすと、勉強も好きじゃなかったし、学校も嫌いだった。
大人達は誰も勉強しなさいと言わないのに、必死で頑張った。
私は優等生にならなきゃいけない。
優等生になれば、母が喜ぶし、元気になってくれる。
そんな思い込みの呪縛は凄かった。

私は優等生のまま学生時代を送り、
大手企業に就職し、寿退社をした。

あの頃は、多様性の無い時代だったから
何の疑問も持たずその道を選んだのかもしれない。

優等生神話は子育てには多大な影響を及ぼした。

スキル

美と癒しのプライベートサロン
リズムーン代表

リズミカルボディー®セラピスト

アクセスバーズプラクティショナー

アロマテラピーアドバイザー

オイルソムリエ

オイル美容家

ミセス日本グランプリファイナリスト

通販モデル・読者モデル

各種オンライン講座講師

息子が不登校になった

私が40歳、息子は中3で不登校になった。
優等生神話に完全に外れる。
良い学校、良い会社、良い人生から外れる。
良い人生って何だ?
まさか、私が決めるの?
今ならそう突っ込みたくなる。

息子は身体を張って私の価値観をぶっ壊してくれたのだ。

怒涛の子供達の思春期時代を乗り越えて
私は介護生活へと突入した。

自分の好きなように生きなさい

40代後半は心も体も変わり目で
自分が一体何者なのか?
母でも妻でも娘でもない私は何なのか?いつも考えていた。
周囲の期待に応える事に違和感を覚えるようになった。

「自分の好きなように生きなさい」
10年介護をした亡き母の最期の言葉だ。
この言葉通り、私は生きようと胸に誓った。

12年間務めた薬局を退社し、
自宅を改装してアロマサロンを開いた。
そして、ミセス日本グランプリという未知なる分野に挑戦したのだ。

ここから私の人生は大きく変わっていった。

私の好きなこと

キックボクシング


ファッション


スピリチュアル


筋トレ


カフェ



ラグジュアリーなホテルのロビー



映画


私が伝えたい事

私は半世紀過ぎてから人生が変わった。
いくつからでも誰でも、本当の自分に気付けば生き方が変わる。

年を重ねると心身共に衰えてはいくけれど、強靭なメンタルを手に入れられる。そして貴重な経験値も手に入れることができるのだ。
それは揺るぎない美しさの土台となる。
それこそが重ねた美しさ=レイヤードbeautyだと思う。

私の経験や知識が
誰かの役に立ちますように。
心からそう願っています。

そして、
​ライフワーク

中高生の頃から、インターアクトクラブに所属し社会貢献活動をしてきました。

社会貢献活動を通し、沢山の学びや気付きを得る事ができ感謝しています。

 

障害がある無し関わらず、助け合い補い合う世の中にしたいという思いは昔からあり、今も変わりありなく私の核となっています。

 

社会貢献活動は、私にとってのライフワーク。

生涯続けていきたい活動です。

【主な活動】

◆2015年、介護終了時点で

再び何かやりたいという思いに駆られ、ミセス日本グランプリに参加。

清掃活動、慰問、動物愛護など様々な活動の機会を得ている。

◆2019年、世界初太平洋横断を成し遂げた全盲のヨットマン岩本光弘氏が率いる"ありがとう"の力を世界に発信する「グローバルありがとうプロジェクト」に参加。

様々なイベント、対談企画など日本支部ボランティアスタッフとして深く関わっている。

bottom of page